陵寺

陵寺は聖王の冥福を祈るための百済の王室の寺として扶余郡 扶余邑 陵山里で発掘された遺跡の原形と全く同じ1:1の大きさでこの場所に再現され、建物間の間隔、柱と柱の間隔など統一されている。
陵寺の再現にあたり扶余邑 東南里で出土された金銅塔片の下昻様式と扶余定林寺址の五重石塔、益山弥勒寺址の石塔などを参考にした。陵寺の伽藍配置は百済時代の代表的な配置で、中門-塔-金堂-講堂が一直線上に配置されている。

陵寺5層木塔は木塔心礎石で国宝288号の昌王銘石造舎利龕が発掘され、世紀567年に舎利を奉安して塔を建てたという記録を見ることができる。お釈迦様の舎利を祭った場所として国内で最初に再現された百済時代の木塔で、その高さは38mにも達する。
  • 陵寺5重の木塔
  • 陵寺5重の木塔
  • 陵寺5重の木塔
  • 陵寺5重の木塔
  • 陵寺5重の木塔
  • 陵寺5重の木塔
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寺で仏像を祭っていた空間として外部は中層、内部は通層で仏参りの空間として使用され、ここに百済仏像三尊佛を祭る計画です。
  • 大雄殿
  • 大雄殿
  • 大雄殿
  • 大雄殿
  • 大雄殿
  • 大雄殿
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大衆に仏法を説法する場所であり、威徳王の聖王に対する孝心を称える意味で慈孝堂と名付けられた。
  • 子孝堂
  • 子孝堂
  • 子孝堂
  • 子孝堂
  • 子孝堂
  • 子孝堂
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扶余邑 陵山里の寺遺跡地の建物内部から国宝287号 百済金銅大香炉が発見された場所なので香炉閣と名付けられた。
  • 香炉閣
  • 香炉閣
  • 香炉閣
  • 香炉閣
  • 香炉閣
  • 香炉閣
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